一日の流れ1_スクールに到着 _相模原市・厚木のフリースクール_家庭塾のミライ

【 子ども達が見ている日本の未来 】

いま不登校の子ども達やご家庭への課題に取り組んでいますが、
そもそもの問題は、

この、
”日本の未来はどうなるのか?”

という疑問から始まりました。

たしかに生活や物は、
はるかに豊かになってきましたが、

少子高齢化や、
税金、物価高、環境問題、アレルギー、健康寿命、災害、

などなど、
様々な問題が浮き上がっていて、

正直、
将来のイメージが明るい人は、
そんなにいないのではないだろうかと感じてしまいます。

ただ、
これは私個人の感覚なのですが、

日本の未来に関して、
このようなイメージをもっていて、

そのイメージから子ども達と接したり、
ものごとを伝えたりしているように感じていて、

端的に結論から言うと、
この先は、『文化』の時代が来るのではないかと感じています。

先述しましたが、
正直、経済的な部分やモノに関しては、
もう飽和している気がします。

スマホが開発されたのがもう到達点で、

もうこれ以上は、
良いんじゃないの?

というのが、
わたしが感じている感覚です。

食べ物に関しても、
おおよそ何を食べてもおいしいし、
愉しめるサービスも溢れるほどあります。

それでも、
まだか、まだかと新商品やサービスを開発し、

競合他社と戦い合って、
もっと、もっとと、あおるように購買を勧める。
そのために、稼ぐ、はたらく、がんばる、を繰り返す。

多少なりの競争は良いと思いますし、
努力はもちろん必要だと思います。

しかし、
この先の未来において、

というよりも、

人類の進歩において、
そこに注力し続けるのはいかがなものかと感じてしまいます。

投資などで表現するのならば、
現代の貯金の利率のような倍率が異常に少ないものに、
たいへんな労力をかけている状態と言いますか。

極端にいうと、
”オワコン”に無駄にやっきになっているような感覚です。
忙しさと疲労だけが積み重なる。

わたしでさえそう感じるので、
今の小学生の娘たちの世代は、

生まれた時からスマホがあり、
タップやスライドひとつで、

どんなコンテンツでも人でも、
下手すれば世界を超えて触れられて。

もちろん車もあり、
便利な電化製品もある。

”ない時代を知らない”

その状態から、
もっと欲しいと思うだろうか?
とそう思うのです。

人間はそもそも、
『欲』の動物で、

もっと欲しい、
もっと欲しい、と生きる。
それが生きがいでもあると思います。

そこに関しては、まったく問題はありません。

危険な生活から便利なものを、
楽しさを求めて踊りや音楽を、

歴史上、
過去から時代を経て、たくさんの欲求から発展してきたのが人間です。

なので、
仕事に関しても、
生活に関しても、

より良くしたいというのは間違いではないのですが、

ただ、モノやそれを手にするための経済に関して、

”もうある”状態から、もっと欲しいと
子ども達はそう思うだろうか?

私たちの世代は、
その名残をずっと追いかけていて、
いや、追いかけさせられていて、

子ども達が生まれながらに持っている、
イメージは別のものを見ているのではないかと思っています。

では、
その子がどんなイメージや未来を?
というのは明確には推し量れないのですが、

おおよそ、
冒頭にお伝えした『文化の興隆(交流)』

というのを目指している気がしています。

実を言うとこれは、
日本だけの未来ではなく、
世界ともにこれから追い求めていくものではないかと思っています。
(一部、発展途上の国は除く)。

経済が到達点に来ているとして、
そこまでの発展の過程で、
いろんな負債がいま課題となっています。

ぼくたち大人たちが作った課題です。

それをみんなで解決するために、
もしくはその中で楽しんでいくために、

どうすればよいだろう?
自分は何が出来るだろう?

そのような発想感が、
とても大事な気がしています。

強烈な一人のリーダーシップや規模、地位ではなく、
自分の才能や役割を使って、
どうやったらみんなで良いものを生み出せるか?

そのみんなが、
ワールドナイズになっていく。

もちろん、
どの国とも仲良く、というのは難しく、
共感性の高い国同士で、

というつながりには、
なると思いますが、

そういう世界観を目指しているのではないかと、
わたし個人的には感じています。

本来、
子ども達は、親世代が無しえなかったことを引き継いで、
やってくれるものです。

歴史上でも生物上でも、
代々そのように進化のバトンをつないできています。

つまり、
親子といえども、別の一個体です。

それを、
今あるカタチに合わせて、
管理してレールを指し示すこと自体、

非常に不自然な気がします。

この点に関して、

わたしたちの世代、
もっと言うとその前の世代あたりは、

それで良かったのだと思います。

モノを豊かに、
生活を豊かにするためには、

会社やトップというものを置いて、
全員、一律に行動していく事によって、

大量生産

というものを成し得、
より安く、より広く、より大きく、

しやすかったのだと思います。
それが必要でしたから、
そのような社会構造だったし、

そのように教育されてきたのだと思います。

しかし、
今はもう必要がなくなっています。

おそらく”会社”などの組織も、
だんだんと”ただのインフラ”になっていくと思いますし、
大人ですらも今の形が窮屈になっていくと感じています。

どうしても、
親と言うのは自分たちの受けたものを、

”良かれと思って”次世代につなぎがちです。

しかしながら、
そもそもの持ってきた使命や未来が違うのが、
次世代です。

それが、
今の時代はより顕著に出てきているのかなと感じています。

わたしは、
今の子ども達、そして日本の未来に大いに明るさと期待を感じています。

今までのような経済の発展性ではなくて。
どう、皆でつながっていくか?
どうやってみんなで良くしていくか?楽しむか?

経済発展の負債は、
おそらく人間の一生を簡単に超えるような、
莫大な時間がかかります。

すぐには解決できない問題を請け負うのが次世代の子たちです。
その原因は我々にあります。

仕事を終えて、
暮らしていけるだけのお金は手にして、
もう人生詰みました~、

という前に、
わたしたち大人も出来ることはまだまだあると思います。

自分たちが先代たちにして頂いたように、
されて嫌だったことは受け継がず、
そっと良いものに変えて伝えていく。

なにも難しいことをするわけではありません。
自分の人生上で頂いたものを
返していくだけです。

そうすると、
大人たちも生きる”生きがい”という、
とてつもない価値を得ることができます。

上と下とか、
だれが偉いとかすごいとか、

そんなことは関係なく。

自分に何が出来るか?
だれと一緒にいたいか?
どう楽しく過ごしていくか?
一生懸命、命とその力を使うか?

人生はとてもシンプルです。

途中でお話ししましたが、
大人たちが本来描いている理想は、
じつは”オワコン”で。

ああ、そうなんだなと思って、
一度手放してみると、
思ったよりも楽になるかもしれません。

もしかしたら、
子ども達はその未来のシンプルさを、
大人よりも知っているのかもしれませんね。

 

 

 

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