一日の流れ1_スクールに到着 _相模原市・厚木のフリースクール_家庭塾のミライ

【 過保護の本当の意味とは 】

過保護、と聞くと、
過剰にものを買い与えたり、
世話を焼いたり、

というのを連想すると思います。

ただ、
それは本当の過保護ではありません。

過保護とは、

『親が自分で欲しているものを、
子どもの必要性とは無関係に与えること』

で、

子育てはこどもがあくまで主体であって、
親の愛情というものは、

それに対してどう感じて、
どう応えるか?

なのだが、

相手の気持ちや欲求をくみ取る感性が、
鈍い人ほど過保護になりやすい。

たしかに0歳~1歳半までのころは、
無条件に子どもの要求に、
最大限に感じて、応答するのが最良だ。

甘やかしの定義を間違えて、

この年頃に、
泣いているのにあえて放置をしたりと聴きますが、

愛情の育成といった面で、
全面的に愛情を注いだ方が、

将来、
対人関係が円滑になる傾向にあるなど、
良い成長につながります。

この、
”十分に愛情が注がれる”

というのが非常に重要で、

それが為されていない母親、が、
子どもに愛情を注いでいくのは、
大変に難しい。

自分の母親ないし父親から、
それをもらっていないのに気付くのもたいへんに難しく、
知らずと頑張って育ててしまう。

それが前回記述した、
うつ状態を作っていってしまう。

この場合、
まずは自分を満たしていく事、

もしくは、
自分の状態を鑑みて、
無理のない育て方、

もしくは、
愛情を持った他力を借りるのが望ましい。

身近で言うと、
自分の両親だったりするが、
足りない同士でも足せば充足する。

そのために、
家族と言うのは存在するのかもしれないのでだが、

昨今では、
核家族化してそれもかなわない。

故に、
自分の中にある”愛情”が枯渇して
ゆがんだ表現になっていってしまう。

その一つが、
話を戻すが、過保護といった状況を作る。

自分がこうなりたかった、
こうして欲しかったものを、

あるいは、
されて嫌だったことを、

見事に、
子どもに行ってしまう。

これは無意識的に、
行ってしまうので親に意識はない。

子どもは順応性に長けているので、
幼いころは、
親が喜んでくれるので、
喜んでそれに応対する。

それを見て、
親もこれが良いものだと勘違いする。

しかしながら、
大きくなるにつれ、

特に中学生時代あたりから
『自我』

というものが人間には発生し始める。

その時に、
子どもはふと空虚感にかられる。

これは本当に自分がしたい事だろうか?

しかし、
小さなころから習慣づけられた、

親も気づいていない
”過保護という牢獄”

から、
抜け出してい良いのか、
心の声が正しいのか、

分からなくなってくるのだ。

わずかばかりでも親に反抗や意見でもしようものなら、
過保護の親には、
裏切られた気持ちになるのだ。

なぜなら、
自分の夢を否定されたことになるからだ。

しかし、
それは親の欲するものであって、
子どもが本来、人生の中で求めていくものではない。

親子といえど、
まったくの別個体である。

いち人間として、
別の人生を歩んでいくのだ。

反抗ならまだ良い。
相談や、ボソッと言うレベルが実際のケースだが、

そんな状態の親が、
そのつぶさな部分を聞き取れようはずもない。

形だけ、
自主性の尊重、という形にしていく”フリ”をするだけで、
まったく自分の本質的な押し付けに気づけていない。

その瞬間も子どもは、
”親のご機嫌に振り回されているのだ。”

ここで、
毎回お伝えしているが、

親が悪いから正せ、

と言っているのではなく、

まずは気づいて、
とにかく楽になって欲しい。

気づいて認知するだけで、
本当に気持ちは楽になっていく。

自分自身が知らずと捉われてしまっていることに、
まずは気づいて、
早く抜けて欲しいなと心から思う。

そうすると、
必ず子どもは少しづつだが変わってくる。

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