不登校のタイプも様々です。
これは一概に言えることではないので、あくまで私に似たタイプの不登校の子について話してみようと思います。
私はとにかく人のいう事を聞くのが嫌いな子でした。
自由や個性の尊重、と言えば聞こえは良いですが、端から見ると、まったく可愛げのない、困った男の子。
人の意思を尊重しないやつは、馬に蹴られて死んでしまえ、くらいに思っていました。ちなみに今でも思っています。
ただ、言う事を聞きたくないのですが、どうやって自分が活躍すればよいのか?
心のどこかでは、人と楽しくやりたい。そのような矛盾が常に心を行ったり来たりしていました。
さて、そのような私がどうやって変わったかと言うと、
『もうやるしかない状況まで追い込まれる』
これだけでした。
世の中のほとんどの人は、恐らく、そうならないように人の言う事を聞いたり、困らないような準備や心配をしていると思います。
「将来、困らないためにも勉強を」
「お金は溜めといたほうが良いよ」
「礼儀やコミュニケーションが無いと困るぞ」
「ほかの人と併せたり集団行動が出来ないと」
学校もそのような訓練を。会社の一般職の方も、一般家庭でも、往々にそのような態勢、思考が標準だと思います。
しかし、私たち(勝手に不登校の子達も括っちゃってますw)は違うのであります。
困らないと動かないし、そこまでいかないと何もやりません。と言いますか、準備しても役に立たないと言いますか。
もうこれ、どうすんの?という状況になった時、とてつもない恐怖が迫った時に、真価が発揮される生き物だと思っています。
個性を大事に、と世間では言いますが、恐らく私から言わせれば、自分自身は相当な”わがまま”だと思います。
わがままを通せば、そりゃ困ります。ですが、困らせたほうが良いのが私たちです(難しいですよね)。
するとですよ。いや、周りの人はどう接すればよいのよ、と。
さすがに困るまで放置するのですか?と。
はい、放置してあげてください。ただ、見守りは重要です。
放置の後の、困った切迫感。
そこにある暖かい見守りだけで手出しをしない抱擁感(笑)。
その絶妙なバランスで前に進みます。
この、見守る、寄り添う、というのが恐らく難しいのだろうなと、大人の方たちの話を聴いていると感じます。
子供サイドに関しては、もう一度言いますがあまり手出しは不要です。わがままを通しますので(笑)。
中途半端に、大人が手出しをすると、自我を潰されて元気がどんどん無くなるか、反抗してわがままが暴走するかのどちらかです。
せまい牧場では飼えない動物さんだと思ってください。
広~い牧場で、のびのび、でも、おおきな柵はあって、飼育員さんは暖か~い目で見守っている。
そして、たまに声をかけてくる。
「今日は、どうだ?」
「いつでも宿舎には帰ってくる場所があるからな」
で、動物たちを見守りつつ、柵の外で張り切って獲物を狩りに行く強い姿、
はたまた自分の好きな農園に夢中になっている。それが理想の飼育員。
それを、牧場からよ~く見ている動物さん達。
つまり、わがままを言っているのは、その広い牧場内で言っていて、
要は、それを聞いている大人がどう認識しているか?
なんですよね。
まず”広い”牧場を認識しているのか?そもそも自分がいる牧場(フィールドや視野)が小さくないか?
牧場の外に出ているか?子どもと一緒の牧場にずっといるから、構ってしまうのではないか?
牧場にいる動物が、羊ちゃんみたいな大人しいのだけを想像していないか?他にも色んな種類がいると想定しているか?
などなど。
変な表現かもしれませんが、なんかこういう世界観な気がします(笑)。
大半は、この牧場で自分が好きな事、楽しい経験を徹底してエンジョイさせ続けておけばよいと思います。
と、上手く大人が認識できれば、このような素敵な牧場経営が出来るのですが、
それでいても、不登校の子達はいずれ早晩、追い込まれていきます。
不登校の子達は自分と対話する子が多いので、なんと自分で自分を追い込み始めます。
人に言われるのが嫌いなら、自分でちゃんと追い込むという。
なんて、出来た人たちなのでしょう(笑)でも事実、そうです。
牧場が広いほど、ちゃんとした追い込み方をします。この、心理的安全性が確保されていないと、よくない追い込み方になってしまいます。
ちなみに飼育員レベルがあがると、意図的に追い込めるようになりますが、
その際に使う能力は、テクニックでも気の利いた言葉でもありません。
”時間”です。時間を使って追い込むように流れを作っていきます。
と、それは置いておいて、まずは自動で発生するのを、
知っておくのと、起きてからの対処を学ぶのが良いと思います。
さて、この追い込みの解、つまりはゴールは何か?の結論から言うと、
決断です。どんな道でも構いません。それが正解かどうかも分かりません。
決断を下せた時点で、その子の成長です。
自由と個性に、もっとも重要なのは、
決断という”責任”です。学校や会社などでは、外部から責任を負わすでしょう?
大NGです。発表係、委員長、日直、負荷にしかなりません。
自分で決めたもの、追った責任に意味があり、成長につながります。
最初は、よく分からない事でも構わないのです。自分で決めることが肝心です。
追い込まれたときに、小さくとも何か決める。この連続が、彼らの成長に当たります。
世間一般では、おそらく自由にモノ申してはならぬのではないかと思います。
会社で自分の発言はNG。家庭でもすべて本音では語らぬ。
人間は、本質的には、自分を知って欲しい、愛して欲しい、生きている実感が欲しいという、
強烈な存在承認欲求があります。だから、聴いてあげる、という行為は人に喜ばれるのです。
話を聴いて欲しいだけではなく、存在を承認してもらい、自己を確認したいからです。ああ、自分は生きていて良いんだなと。
本音を語らぬというのは、自己否定に他ならないのです。
それを、物を買う、美味しいものを食べる、お金を手に入れ使う、という短期的な欲求で塗り替えていて、
何とか自己を保っているのが、現代人のほとんどです。
その、違和感に本質的に気づいているのが不登校の子達なのではないかな?
というのが私の仮説です。
さて、今回はかなり極端な話をしてみました。
すべてがこのケースではありませんし、ここで述べただけでは中々対処や応用が出来ないかもしれません。
ですので、あくまでイメージの一つとして、
捉えて頂けると嬉しいですし、もし近しいことが起きた際には、
参考になると嬉しく思います。
とにかく不登校の多様性や世界観を伝えるのは、本当に難しいと思っていて、
どうにか伝わり、大人の方にも分かるようにと、最近、本格的な勉強会を始めました。
また近日にご案内を出すと思いますので、
本格的に、深く本気で勉強したい方、お待ちしています(^^)