一日の流れ1_スクールに到着 _相模原市・厚木のフリースクール_家庭塾のミライ

不登校のはじまり~中学生編③~

わたしの中学生時代は、完全な不登校ではない。

行ったり行かなかったり。今で言う、フレックスタイムだ(笑)。

 

ちなみに学校の成績は超絶良かった。内申点は、ほとんど5段階中5評価。

テストの点もほぼ100点。95点など取ろうものなら、その答案を先生の前で破り捨てていた。なかなかイカれている。

 

ちなみに塾にも、かなりイヤイヤだが行っていた。小5の時に母親に言われて強制的に行かされたのだ。地元では超ゴリゴリの進学塾だ。

母親は、兄と比較された自分自身に強い劣等感を持っており、そうならないようにと私に塾に行かせたのだが、

いやいや、それがもはや押し付けとなる。親子代々の呪いは、こういう所に現れるのだが、ほんとに当人たちは気づかない。良かれと思ってやっているから余計にタチが悪い。

 

これはよく覚えているのだが、小5で入塾して、いきなり全国模試を受けた。ここで、圧倒的な成績を出してしまう。

全国5位。IQ140、偏差値85(たしかこの付近だったと思う)。新人にいきなり無双されたため、クラス全員が、塾長から、鬼のように罵倒されていた。

私はと言うと、可哀そうなくらい、浮いた。新人でやべぇやつ来た。初月から、誰も目を合わせてくれなくなったのだ。

 

なんでしょうな。人間は、つくづく環境の生き物だと思う。私からしたら、別に勉強など何の価値もない。

もしこだわりがあるのなら、その後、成果を感じ、必死に勉強したことであろう。

しかし、どうでも良いものなので、自分から、今後、良い点を取るのはやめようと思った。クラスになじみたい、という訳ではなく、こういう立ち位置が本当に面倒くさいと思った。

 

ちなみに、学校でも先述したような成績、態度なのであるが、先生は、完全に私を特別扱いしていた。

わたし、という人間を特別にしていたわけでは無く、良い点を取っていれば、それでよし。そのような感覚であった。

学校というのは、この点も、さらに私の心を虚しいものにしてくれた。

 

別段、学校だけではない。

誰もわたしを見ない。誰もわたしを評価しない。親、大人は自分たちの都合、感情、うわべだけの体裁。

身近な大人が、子供の未来そのものである。私には、この人たちからは、何の未来も見えなかった。

 

中二病と思うかもしれないが、

これがアイデンティティだと思う。個性の始まりだ。それを標準化、はたまた否定するのが現況の教育、また社会システムとなっている。

当時、よくは分かってはいなかったが、まさにこれに反発し、吞まれていたように思う。

 

 

 

 

しかし、ここから救ってくれる大人が二人現れる。

私が”社会”に救われていく始まりだ。

 

まず一人目は、ピアノの先生だ。

女性の先生で、とにかくピアノが好きでやっている、というような人だった。4歳から通っていたので、昔から私の事を良く知っている。

当時は、男がピアノを弾くのは変、という風潮であったので、私はずっとピアノを習っているのが嫌であった。それは先生も感じていたであろう。そのため、あまり練習もせず通っていたし、

先生に対しても特段、良い感情は持っていなかった。

 

しかし、やや不登校になり始めて、人との関係が一気に減った時に、先生とよく話すようになった。

 

今思えば、

 

『余計な存在が減ったおかげで、自分と近しいもの、必要なものが見えるようになった』のかもしれない。

先生も、自分自身の学生の頃の話をしてくれたりした。学校の授業、体裁の上での話。そういう作られたものではなく、

その人のはなし、というのは非常に魅力的であった。

 

対して練習しないくせに、教室に行っては、学校の愚痴、大人への愚痴、社会への愚痴、ピアノも弾かず、レッスン40分の間、ずっと話していた気がする。

先生は、とても気の強い人だったのだが、、この時は、うんうんとよく聞いてくれた。もしかしたら、母親も裏で、不登校について相談していたのかもしれない。

どちらにしても、これには随分と救われた。

 

先生も、自分自身の学生の頃の話をしてくれたりした。学校の授業、体裁の上での話。そういう作られたものではなく、

その人のはなし、というのは非常に魅力的であった。

自分の話を聴いてくれる。少なからずともそういう大人はいるのだと。これだけで救われる。

 

 

 

 

そういう流れが出来てくると、不思議なもので、そこから、さらなる良い流れが派生する。

これはよく覚えておいて欲しい。良くしよう、解決しようとするとダメだ。所詮、それはその人の思ったように、思い描いたものを追わせたいだけだ。

 

良い流れとは、どういうものかと言うと、

ある日、テレビのCMを見ていた。カーテンのサンゲツ。その後ろで流れていた曲に衝撃を受けた。

その名はドビュッシー作『アラベスク』。なんじゃ、この曲、と本当に聞き惚れてしまった。

 

さっそく、それを先生に相談するのである。と、、、ここなのだ。大事なのは。

「何かを発見する」のも大事だ。しかし、”この人に相談してみよう”と思える相手がいることの方が、もっと大事なのだ。そこから流れが生まれる。

 

先生に相談したところ、そのような答えが返ってきた。実にシンプルであった。

「あんたにはまだ無理よね」※広島弁。

なかなか鋭い先生である。私は、こういう言い方をされると、燃える。なんじゃと、やってやろうじゃないかと。※広島弁。

 

人生で初めて、目標を持った時のように思える。今まで嫌々していたピアノの練習が、ウソのように猛烈に練習した。

レッスンの時の愚痴大会も、そんな暇などまったく無いのだ。基礎練習、応用、すべて言われたことを熟(こな)していった。アラベスクに近づくためなら、と自分が進んでいくのが楽しかったのだ。

そうして、何と、半年。中学2年生の時に、完璧に弾けるようになった。自分でも非常に満足であり、誇らしかった。ただ、ここで終わらないのである。

 

 

 

 

先生から、提案があった。

「この人(ドビュッシー)の曲で、もっとええ曲があるんじゃけど、聞いてみるかね?」※広島弁。

実に、私の操り方が上手い。先生も変わり者であった感があるので、似たようなところがあったのかもしれない。

 

提案された曲は、『月の光』。もうこれは、いまだに私の中で名曲である。そして、中々に難しいのだ。

まんまと感動して、こう聞くのである。「弾けますかね?」と。そしたら、こう返ってきたのだ。「あんたにはまだ無理よね」。上手い。。

 

この先生は、私に目標、というものを教えてくれた。目標を立ててくれた訳でも、示してくれた訳でもない。

その扱い方を教えてくれたのだ。その後、ばっちり練習を重ね、中学3年生には弾けるようになった。まあ丸一年はかかっているが、不登校ぎみの子には、とても良いカンフル剤となった。

おそらく一つの事で良い。何か自分から生じたものに取りかかることが出来れば、それが必ず将来の糧となり、その場の生きる理由となる。

 

ちなみに、月の光を弾けるようになった段階で、おおよその曲は弾けるレベルとなる。

ショパン、ベートーベン、おおよその人が聴いたことのある、有名で難しい曲も、さらっと弾ける。こうなると、ピアノ自体がそんなに苦では無いし、

むしろ自信にも成っていった。

 

 

 

 

これは、余談であるが、ドビュッシーは印象派、といわれるジャンルに相当する。

クラシック音楽にも色々あって、初代のバッハのあたりは、王族、貴族しか音楽を聴けなかった。また、宗教と強く根付いていたため、

教会で映(バ)えるような荘厳な曲調、雰囲気が求められた。

 

次に、その音楽を民衆に落とし込もうとしたのが、モーツァルトやベートーベン達だ。

ちょっと俗っぽく、聞きやすさ、壮大さ、カジュアルさ、など様々な要素を取り入れ始めた。

それをさらに昇華させたのがショパンの時代だ。演奏者をアイドル化させ、めちゃくちゃ映(バ)える曲を作り、完全に音楽は市民のものとして普及していった。

 

しかし、人は、何やっても飽きるのである。こういう面を学べるのが、歴史は本当に面白い。

曲調、演奏者、それらに飽きられていった音楽がそこに向かったか?それがドビュッシーの時代、印象派である。

印象派とはどういうことかと言うと、”月の光”で例えてみる。

 

この曲は演奏者によって、曲の感じがまったく変わる。

なぜかと言うと、月の光、そのもの月面を見ているのか。はたまた、月の光が空中を照らしている色彩を見ているのか。水面に照らされている月の光を見ているのか。

それは人によって、違うのである。それを表現する曲なのだ。演奏者の腕や、荘厳な楽器や環境、そういうのではなく、”そこに流れる空間と感覚”を、演者と聴衆で共有しあうのだ。

 

昔から、おそらく私はこういう感覚が好きだったのかもしれない。

たぶん、これを音楽の授業で、理屈で習っていても、何ら心に響かなかったと思う。カーテンのサンゲツのCMを見て、これはなんだ!と自分で聞き、自分で調べ、体得し。

自分から発生したものを積み重ねたからこそ、心に拡がりが出来たように思う。

 

 

 

 

『心の拡がり』

現代は、この感覚が非常に狭まっている気がする。私は、学校に行かないことで、少しづつだが、心の拡がりを養えていたのかもしれない。

そう思うと、当時は随分と悩みながら生きたものだが、不登校も悪くないと今なら言える。

 

さて、

これが中学3年生で学校に行くようにったモチベーションとなる、一つの大きな出来事だ。

もう一つあるのだが、それは次の機会でお知らせしようと思う。

 

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