不登校の問題において、親の存在は切っても切り離せない。
よく、不登校は親のせいだ、のような表現を目にする。ちなみにそういう事ではない。
そもそも不登校の問題は、子供を解決するだけではなかなか満足する収束を得ない。子供と親、そして社会という3者以上の関わりの強化で、その子に合った方向に向かい始める。
そして、この3者の中で1番最初のきっかけとなってしまうのが、”親”なのである。なぜなら子供をどの環境に置くか?誰にお願いするか?の決定は、親しかできないからだ。
子供に、どういう場所やものが良いかを聴いてみることもあるだろうが、上手くいくケースは、親が必ず、覚悟してえいやあ、とやるケースが多い。
この、覚悟、というのが難しい。無理やり行かせる、やらせるのとはまた違う。
親の状況にも段階があって、不登校の子供段階と似ている。
1.パニック期 ・・・ 急に我が子の不調にとにかく感情が乱れる。
2.暗中模索期 ・・・ 解決の為に色んな情報を探すのだが、自分に都合の良いものだけしか聞いていない。ほかの人のアドバイスも実は聞いていない。
3.混迷~燃え尽き期 ・・・ 聴いてないから解決しない。何度も繰り返すうちに、いったん途方に暮れて諦める。冷静になり、自分を見つめ直す。
4.覚悟期 ・・・ 人ではなく、自分を変えないといけないんだなと気づく。なかなかこのフェーズに行けない。
5.受容器 ・・・ 自分と向き合い、子供のありのままの状態を受け入れる。自分の成長が子供の成長だと気づく。
ざっくりこのような流れだ。
ロジックにすると、何ともさらっと進んでいくように感じるが、この道程はなかなかにキツイ。
特に混迷期のあたりは、日々、そしてこれが延々と続くのかと思い、本当に滅入る時期だ。
これは、わたし自身の今までの親御さんたちからの相談において感じることだが、
変われるか、変われないか?は、はっきり言って50/50だ。
ちなみにフリースクールに来てお預かりまで到達するご家庭は、おおよそ覚悟期をちゃんと迎えている。※今後、フリースクールの導入期を過ぎるとそれもどうなるか分からないが。
これは、わたしにも責任がある。なぜかというと、親御さんの1~3に関しては、わたしは確実に専門外だからだ。
わたしは、元不登校児である。子供の気持ちは分かる。ただ、親の気持ちは分からない。
なので、子供を変えることは出来るのだが、親を変えることは出来ない。
この点は、今後、親御さんのケア、上手に無理なく導くことが出来る人を探すなり、育てるなりしなければ、と強く思っている。
ただ、わたしにも親を変えられる部分がある。しかも強烈に。
じつは、5番の受容期の先にもうひとつ段階上がる。6.成長期だ。
不登校の子供がどんどん自立していくための、親が出来る変化。
それが、自分が成長することだ。
たとえ話をする。お母さんの話だ。
今まで、旦那の収入に、自分はパート、もしくは半分くらいでよいかなと思っていた。
子供を見るのが、私の仕事だ。しかし、その子供がある日突然、不登校になる。自分のせいかと思った。
旦那に相談しても、まともに聞いてくれない。学校も思ったような返事をもらえない。
赤ちゃんの時から、苦労して、がんばって育ててきて、ワンオペにも耐え、自分の時間も削り、
何が悪かった?どうすれば良い?子どもはどうやったら変わる?旦那には怒りと落胆しかない。
自分なりに色んな事をしてみた。行ってみた。でも、何をしても良くならない。むしろ悪くなっている気がする。
もうダメだと思った。心中も少しだが過(よぎ)ってしまう事もあった。
あまりにも精神に負荷がかかったのか、頑張れなくなり始めた。一人の時は動かず、ぼーっと考えたり、泣いたりしてみた。
そのような、どうにもならない時期が長く続いた。そのうち、自分の調整も上手くなったような気がする。
どうにもならないことは、頑張っても仕方ない。そう思うと少し楽になれた。そんな時に、ふとSNSに不登校に関する会の情報が流れてきた。
なぜか知らないけど、出てみようという気になった。かつてそういうものにはかなり行ったのだが、何も解決しなかった。だから、あまり期待せず気楽に出てみようと思った。
しかし、その会に出てみて気づいた。自分と同じようにぐるぐるしてきた人が、たくさんいるのだと。
そして、なぜか自分と同じような環境、状態の人と話していると、不思議と楽になる。これが共感というものだろうか。
解決策ばかり探していたが、この、”雰囲気”が、よく分からないが良いなと思うようになった。
その辺りからなぜか、子供が話しかけてくれるようになった。泣くほど嬉しかった。何が変わったのだろうか?
理由はよく分からないが、なにか変化のきっかけが起こり始めたような気がした。そこで会の主催の人に、個別でこの事を相談してみようと思い、話してみた。
『お母さんは人生を楽しんでますか?』と言われた。
今まで、育児を頑張ってきた。仕事も頑張ってきた。勉強も、学校も、頑張ってきた。
楽しいことも、ディズニーに行ったり、少しだが推し活のようなものも、、、していたつもりだ。
しかし、たしかにそもそも自分は、自分の人生をよくするために生きているのに、そうしようとしていない。
・・・そうだなと思った。楽しもうとしていない人が、子供に何を求めているのだろう。
そこからだと思う。子供の事よりも、まず自分のことを考えるようになった。
今思うと、ここから家庭の状況が、良い方向に変わり始めた気がする。
自分のことを考え始めた時に、妙に思い出すことがあった。
自分が、同じく子どもの頃のことだ。
母親に言われたことを、どうも自分もよくやっているような気もした。
この辺りにもどうも要因はあるような気がするが、それはさておき、
ずっと好きだったことがあった。
絵を書くことである。ただ、塾や学校の多忙さで、徐々に出来なくなっていった。親からも止められていた様な気がする。
絵では食べていけない。真っ当な生き方をしよう。そう言い聞かせたような気がする。
どうもそこが引っかかって、まずは絵を見に行ってでも見ようかなと思った。
そこで衝撃を受ける。見に行った先は、じつはビックサイト。いわゆる、オタクの祭典である。
こういう場が成り立つのだと思った。詳しくは書けないのだが(この辺りの業界詳しい人なら分かるはずw)、
なにか自分もこの場に加わりたいと直感的に思った。
その日から、昔から描くこともなかった、絵を好きなように書いてみた。
完全にドはまりし、昼夜問わず、描ける時は描いた。まさに夢中だった。楽しかった。
色んな画材や本、見本の先生などをSNSで探し、描いた。
すると、自分が試しにUPしていたSNSに「いいね」が付いた。得もしれない感動が込み上げてきた。
絵が上達するにつれて、「いいね」もどんどん増えていき、コメントまで届くようになった。
そのコメントには、依頼のようなものもあり、わずかではあるが、初めて自分の好きなことで、お金をもらうことが出来た。
感動は自信に変わり、生きていることが楽しくなり始めた。
ただ、不登校の現状が大きく変わるかと言うと、そこまでは起きなかった。
そこで、思った。私が、まず大きく変わろう。
そこから、本格的に仕事になるように、専門の先生についてもらい、挑戦を決意した。
それからは、色んなことがあった。
絵の仕事は徐々に成功した。ただ、それだけではなかった。
子供に向けての地域のイベントを立ち上げたり、協会の手伝いをしたり、お母さんの会も立ち上げたりした。
必死にやったが苦しいという事は無かった。こんな自分でも出来る、という感覚がとても楽しかった。
そして、思った。自分が一番苦しいと思っていたけど、そうでは無い。もっと苦しい人もいるし、それを克服した人もいる。
助けたいと思っている人もいる。自分が変わろうと思わなければ、出会う事もない。ずっと自分の枠の中にいて、周りと突っつき合っていただけなんだと。
”視座”が変わるというのだろうか?気付くと、子供たちは不登校では無くなっていた。
上の子は、高校に行くようになり、自分で行く大学を決めた。下の子も、学校に行き、発言や友達が増えた。理由は分からない。ただ一つ言えるのは、
理由は、私にあった。ただ、それだけだ。
ちなみに、どちらの娘もこう言うようになった。
『お母さんのように、変わりたいと思った。』
子どもはよく見ているのである。
・・・さて、これは実際に相談を受けてきたお母さんの、変化していた実例の話だ。
この間、2年。寄り添い続けてきましたが、本当に良い家庭になりました。
何をもって、良い家庭なのか?子どもが健やかに育ってくれれば、べつに家に居続けても良い。
そういう解釈もあろうとも思う。ただ、私個人の解釈としては、『人は変われる』と思っている。
そしてまた、人は変わっていくから、人生は面白いのだとも思う。
これから、子供たちを取り巻く環境、未来は、おそらく変わらないといけないのだと思う。
それを、親だけではない、大人たちがぐっと抑えているような気がしている。
子供を変えようとする前に、まずは大人が率先して変わっていく姿を、見せていきたいものだと思う。