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不登校は幼少から始まっている~小学生編④~

さて、いずれ不登校になる小学生の西岡少年。あることで変化を感じたのだが、それは何だろうか?

 

まず一つは、食べ物を変えたことだ。

当時の西岡少年は155cm、60kg。かなりぶーちゃんである。実家がラーメン屋なのもあり、余り物のラーメンや揚げ物をよく食べていたらこうなってしまった。

しかしさすが、お年頃である。このままでは何かマズい気がした。また、ロックバンドのB.zにはまり、かっこよさ、というものにも、あこがれを感じ始めてもいた。

 

そこで、まずは母親に痩せたい、と伝えたところ、やたら野菜が増え始めた。

まあ言ったものは仕方が無いので、ほぼ、出されるがままに食べていった。反抗期なのもあり、言ったからにはやるのだ。慣れれば、別段、マズくもない。おおよそ一年くらい続いた。

するとどうでしょう。成長期の恐ろしさである。背が170cmまで一気に増え、なんと体重はそのまま60kg。見事なまでにスリムである。

 

ちなみにウチの一族に、太ったお方は一人もいない。私だけぶーちゃんであった。今思うと、あれは完全にストレスである。

向かう先の無いストレスが、食に走るのは、よくあるケースだ。この点、耳を塞ぎたくなる方は多いのではなかろうか。

不思議なもので、体型や見た目が変わると、少し自信がつくものである。そこから走ったり筋トレしたりも増えていった。

 

思い出す限り、人生で自分から変わろうとし、結果が出せたのは、これが初めてではなかろうかと思う。

非常に小さなことかもしれないが、自信とはこういうものの積み重ねで伸びていく。この点では、今でこそ思えるが、料理を変えてくれた母親にも、たいへん感謝したい。

 

子どもに多くを求めてしまう親は多いのではなかろうか?分からんでもない部分でもある。

人類は、自分が出来なかったことを、後世に求めるように出来ているからだ。ただ、親が思うような様々な心配、期待は不要である。

たった一つ。ただ一つで良いので、何かしらの自信があれば、それでよいと思う。それは形のないものでも良い。次に紹介するのは、その一例になるかもしれない。

 

 

さて、次に変化を起こしたものだが、これは少し変な話である。

 

スリムになった小6の時、体育の授業があった。跳び箱の授業である。小6ともなると中々な高さで、たしか6段で80cm、その先も含め約1mの高さを飛ぶ。大人だと致死レベルかもしれない。

運動が得意な子は良いが、そうでない子にはかなりの怖さを感じる。残念ながら西岡少年は『そうでない子』であった。

 

しかし、この日の彼は違ったのである。スリムになった自信もあったからか、

最初のチャレンジで失敗した時に、ふっと感じたものがある。

 

「飛べる」と思った。今までに感じたことのない感覚であった。それを、自分の前を飛んでいた女の子に言ったのだが、

「何言ってんの?さっき失敗してたじゃん」と笑われた。しかし、自分の中では、もう完全に飛べているのである。

 

そして再度チャレンジの機会。飛んだのである。いとも簡単に飛べた。この時に直感的に感じたものがある。

人間は、出来ると思うと、出来る。出来ないと思うと、出来ない。

まずは行動の前のイメージで変わるのだと思った。

この発見は大きかった。ちなみに先ほどの女の子はびっくりして、すごい、という目で見ていた。ちょっと気になっていた女の子なのでそれはもう、西岡君はたいそう喜んだのであった。

 

それからである。ことある毎に別人のような変化を遂げた。思うが先、のコツ得たりである。

小学生の花形はドッヂボールとかけっこである。昭和60年代、当時はそうであった。

これらの競技は、じゃんけんでメンバーを決める。もちろん強い人順に取られていく。西岡少年は最下位層である。

 

少し余談であるが、子供たちの中には、この、謎のヒエラルキーが発生する。それもかなり強く。

いじめの問題もおそらくこのヒエラルキーが作用している。この頂点に立ち統治するために、何かしらの強さが無いと、下位層に位置付けられてしまう。恐ろしいシステムだ。

あろうことか、このシステムを植え付けているのは大人ではあるのが痛々しい。見守る大人たちには、この見えない圧に、子供たちは常にさらされていると、思っていて欲しい。

評価されるべきは強さや優秀さだけではない。弱きもの、優しきもの、諭しきものも、才能を持っているのだ。

 

さて、そのヒエラルキーをひっくり返すほどの躍進を遂げていった西岡少年。ドッヂボールに関しても、取れると思うと取れるのである。

かけっこに関してもそう。いや精神論だけでは無かったかもしれない。何しろ、体もスリムに変わっているのである。

そして、驚いたのは当人だけではない。周りは衝撃である。今まで何の活躍もしない”最下位層”が、無双し始めたのだ。

 

しかし、である。この自分の変化には大変に驚いたが、周りの評価の変化にはさほど喜びは感じなかった。

と言うか、そもそもあまり、周りの人たちとは自分は、何か違うな、とずっと感じていた。どう違うかは説明できないのだが、皆が楽しそうにしているとき、何かずれている自分に気づく。

頭もずば抜けて良かったので、常にそちらでも無双していたが、相変わらず、他人の評価は、さほど響かなかった。

 

そんな変わった子であったので、周りと仲良くすることよりも、さらに、どんどん自分の中に潜るようになってきた。その方が楽しいのだ。

おかげさまで、友達と呼べる存在は一人もいなかった。寂しいなと思う所もあったかもしれないが、一人でゲームをして考え事している方がまだマシで楽しかった。

 

そして、そもそもの幼少から抱えた怒りや憎しみが消えたわけでは無い。心の中はそんなものでは、解消されないのだ。

これらの経験で身につけた自信は、その怒りに火をつける材料となっていったのである。

 

そして、ついに中学1年生になり、だんだんと、その怒りと共に、人間らしい行動に出ていく事となり、不登校になってゆく。

 

不登校とは、ただ学校に行かない、行けない問題だけでは無いのだ。

不登校は、人生はどう生きるべきか?を家族に問うための出来事なのかもしれない。西岡少年の場合は、そうであった。

次回からは、その話に近づいていく。

 

 

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